世界中のセレブが毎年「ヴェニス」に集まるワケ
イタリア屈指の観光都市・ヴェニスには、毎年、世界中のセレブが集まるという。『アート思考』(プレジデント社)の著者で東京藝大美術館長の秋元雄史氏は「ヴェニスには街の至る所に無形の価値がある。日本人はこのイタリア人のプロデュース力を見習うべきだ」という——。(第4回/全5回)
※本稿は、秋元雄史『アート思考』(プレジデント社)の一部を再編集したものです。
写真=iStock.com/mhkhalil24
※写真はイメージです – 写真=iStock.com/mhkhalil24
■なぜ、直島に海外セレブが集まるのか
直島時代に、私はイタリアのヴェネチア・ビエンナーレを毎回訪れました。ベネッセ賞という若手への賞の授与と直島の宣伝のためです。
なぜこんなプレビューのタイミングで賞の授与と直島の宣伝を行ったのか。それは直島のことを知ってもらい、話題にしてもらうためには、世界のアートを牽引するトップのアート関係者が集うこのタイミングが、最も効果が高いからです。いってみればこのタイミングで集まるのは、皆、内輪の業界人ですが、その影響力たるや凄まじいものがあります。
著名なアーティスト、美術館長、キュレーター、美術評論家、美術ジャーナリストといったアートセレブが世界中から集まり、会場を盛り上げるのです。最もホットなこのタイミングで直島のことを知ってもらうのが、一番効果的な宣伝方法でしょう。
直島への来島者は、7割が海外の人、3割が日本人といわれています。それも海外から訪れる人々は、いわゆるセレブといわれるリッチな人々、大学教授や研究者などのアカデミシャンらです。なぜそれほど海外で知られているか、それも世間に影響力のある美術関係者や美術愛好家に知られているかといえば、私たちがヴェニスの場で毎回プロモーションを行ってきた結果もあるのです。
■オノ・ヨーコが審査員だった時代
広いビエンナーレ会場を関係者は一日中歩き回り、体力だけでなく神経も使い果たすので、そのタイミングでみんなが集い気軽に交流できる場を探しています。それがあれば、申し分ないでしょう。そのためにベネッセが交流の場を主催し、話題づくりのために新人賞を出したのです。
審査員にはオノ・ヨーコ、元森美術館のデビット・エリオットやダニエル・ビーンバウム、ハンス・ウルリッヒ・オブリストなど、今ではトップキュレーターやディレクターが名を連ね、毎回入れ替わりで審査にあたりました。
受賞者も、蔡國強、オラファー・エリアソン、ジャネット・カーディフ&ジョージ・ビュレス・ミューラー、タシタ・ディーンなど、今では皆がトップアーティストです。中には作品一点の価値が今では何千万円か、それ以上もするアーティストたちもいます。
審査する側も審査されるアーティストたちも主催する我々も若かったのですが、そういった時期に一緒に仕事をするというのは、大切です。だれでも若いときに同じ経験をした仲間はよく覚えているのではないでしょうか。そういう仲間こそ、いざというときに頼りになります。
気の置けない関係とは、なにも地縁血縁だけではありません。遠く離れていても、同じ釜の飯を食べた仲間こそが、もっとも信頼の置ける関係といえるでしょう。それは何も国内の友人に限ったことではありません。
このように世界の美術関係者と関係をつくることで広いネットワークが形成されていき、直島の名は徐々に世界で知られていきました。ささやかですが、継続的なイベントの開催が、後に直島が知名度を獲得することにつながっていったのです。
■「フェイス・トゥ・フェイス」の関係が一番重要
アートは、大量生産品ではなく、最初は大衆的な存在でもなく、また誰もが必要とするものではありません。嗜好性が強く、人を選ぶものです。
そういったものを宣伝するのに、マスメディアを使う必要はまったくないのです。
ビジネスの初期というのもこれと同様なのではないかと思います。当初は多くの人に知ってもらうことよりも、少数でもいいので価値を共有することができ、業界に影響力のあるインフルエンサーに知ってもらうことが大事なのです。
アートの場合は、特にこの傾向が強く、むしろクローズド(閉じられた)な場でもいいので、価値観を共有するプロセスが必要で、それから徐々に情報が外へと拡がっていき多くの人が知っていくという流れがいいのです。
そのためには、まずはよき理解者を得ることが一番重要なのです。その人たちにいいと言ってもらうことで、大きな「信頼=ブランド」をつくり出していくことができるからです。誰でもいいから知ってもらえばいいというのでは、ダメなのです。
然るべき人たちに、しっかり情報を届ける。それが一番できるのは、今も昔も変わらない「フェイス・トゥ・フェイス」の関係で人と会うことです。そのための適切な場を知り、人を知ることが、大切です。
世界は広く、多くの人たちがいますが、物事を動かしている人たちは、ほんのひと握りです。その人たちにどのように届けたらいいかをいつも考えた上で、行動に移すべきなのです。
■現代アートを支える重鎮の面々
アートセレブが集まる、二年に一度のもっとも濃密な機会となるのは、ヴェネチア・ビエンナーレの特別公開のために開かれるプレビューの数日間です。
ヴェニス市も熟知していて、ビエンナーレ開催前のこのタイミングが、ホテルもレストランも交通もすべてとんでもなく高い価格に設定されています。「足下を見やがって!」と恨みごとを言いたくなりますが、これがサービス業、観光業というものでしょう。一年のうちで稼ぎ時なのですから、仕方ありません。
この期間中は連日パーティが開かれ、関係者同士のミーティング、食事会が開かれていて、面白いことにそこに参加するスーパースターのアーティストやアート関係者に会うために、リッチなセレブたちも集まってくるのです。
自分たちもアートに関する最新の情報が欲しいのです。アートがまさに誕生する貴重な場面に自分もいたい、有名アーティストたちと時間と場所を共有したいということなのでしょう。
どんな場所であってもお金がかかりますが、それでも世界のアートセレブは、ヴェニスを目指してくる。そんな二年に一度の機会に、忙しい最中でも顔を出していたのが、アンカシェール美術財団(旧原美術館財団)前理事長の原俊夫やベネッセHD名誉顧問の福武總一郎や大林組会長の大林剛郎、森美術館理事長の森佳子たちでした。
日本からの常連は、現代アートのよき理解者のこのメンバーぐらいでした。ちなみに、ここで紹介した皆さんは、多くの来館者で賑わう現代アートの美術館を運営していたり、素晴らしいコレクションを持っていたりする方々です。
■ヨーロッパ人憧れのヴェニス・ビエンナーレ
街を挙げてのこの一大イベントであるビエンナーレは、二年に一度開かれる現代アート部門だけではありません。
他部門になりますが、毎年開催されるのが映画、演劇で、美術同様、二年に一度の開催が、建築、音楽、舞踊です。こうなるとヴェニスでは、いつもどこかで国際的な文化の祭典が開催されていることになります。
毎年、世界中からヴェニスを目指して、セレブたちが集まってくるため、街はいつでもどこでも大騒ぎで、人が動き、ものが動く、文化による一大観光産業です。
こういった一大観光産業、文化産業をつくり出すイタリア人のビジネスセンスは、日本人も見習う必要があるでしょう。ローマ時代にまで遡ることができる文化資産を持ち、イタリアルネッサンス期には、ローマ、フィレンツェ、ヴェニスなどが栄え、そこで花開いた文化は、いまだにヨーロッパ人の憧れです。
ビエンナーレの会場で見せているものは、新しい現代アートですが、ヴェニスの街は、古く、中世の町並みや建物や調度品が至るところに残っています。貴族の館がレセプション会場や展示会場に使われていて、食べ物が美味しい。
ヴェニスにいると歴史の中に身を置いているかのようです。このように街が魅力的で、食事が美味しく、歴史を感じることができるのが、文化的な観光の基本なのだと思います。
ヴェニスのように、歴史、伝統、芸術文化といった無形の価値を街の至るところで感じることのできる都市は、一朝一夕で出来上がるものではなく、また一人の権力者によってできるものでもないのです。
都市にいる多くの人々が無形の文化に気づき、大切にし、それらをうまく保存・活用する知恵を持っているからです。すぐに結果を求めるばかりではなく長い時間軸の中で、文化と街づくりとビジネスを捉えているのです。
■ブランド力を活かしたプロデュースビジネスで稼ぐ
そしてこの由緒ある歴史都市を土台にして現在進行形で新しい文化を紹介しているのが、ヴェネチア・ビエンナーレです。興味深いのは、この魅力的な場所を用意したのはヴェネチア・ビエンナーレの主催者ですが、これらのコンテンツをつくり出しているのは、参加している国々なのです。なんと主催者であるヴェニス側ではないのです。
毎回激しく競争し、話題を提供する展示などのコンテンツをつくり出しているのは、ヴェニスを目指して集まってくる世界各国のアーティスト、クリエイターたちです。主催者であるヴェニス財団は、場を提供しているだけなのです。それだけでなく、展示にかかる経費の多くは、出品者負担です。
このように出品者に負担を強いる国際展はヴェニス以外にはなく、考えようによっては、なかなか厳しい条件ですが、誰もこれに文句をいいません。それどころか参加国や団体は年を追うごとに増え続けていて、衰える気配はないのです。
なぜ自己負担をしてでもこの時期のヴェニスで展示を行いたいのでしょうか。ヴェニスで成功すればそれだけの影響力を現代アート界で持つことになるからです。それほどヴェニスは、晴れの舞台ということです。
ヴェニス市は、裏方として世界から大勢来る人たちの宿泊や食事、物流を担う、まさにブランド力を活かしたプロデュースビジネスです。一プレーヤーになるよりは、その場をつくり出して仕切るほうが、ビジネス的に見ればはるかに合理的な選択でしょう。
残念ながら、その場所づくりやルールづくりといった、いわゆるプロデュース業は、日本人には不得手な分野です。こういったことが得意なのは、植民地時代に領土を広げ、一度は世界を制したことがある旧宗主国のような国々のように思えるのは、気のせいでしょうか。
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秋元 雄史(あきもと・ゆうじ)
東京藝術大学大学美術館館長・教授/練馬区美術館館長
1955年東京生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科卒。1991年、福武書店(現ベネッセコーポレーション)に入社。瀬戸内海の直島で展開される「ベネッセアートサイト直島」を担当し地中美術館館長、アーティスティックディレクターなどを歴任。2007年から10年にわたって金沢21世紀美術館館長を務めたのち、現職。
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(東京藝術大学大学美術館館長・教授/練馬区美術館館長 秋元 雄史)
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