23番線まである東京駅、なぜか存在しない「11〜13番線」…「鉄道の歴史」が大きく関係
東京駅の構内を歩いていたら、不思議な光景を目にした。案内表示に1〜10番線、14〜23番線はあるのに、11、12、13番線がない。実際にホームに出て確かめると、10番線の隣がいきなり20番線になっていて、ますます謎が膨らむ。調べてみると、鉄道の歴史と東京駅の変遷が大きく関わっていた。
(石浜友理)
駅構内を丸の内側から進むと、中央線や山手線などの在来線が1から10番線まで並んだ後、東北新幹線などの20〜23番線が現れ、また14番線に戻って東海道新幹線が19番線まで続く。
1914年に開業した東京駅は、ホームの増設や駅舎の改良を繰り返してきた。その過程のどこかに欠番の理由があるのだろうか。JR東日本の担当者に尋ねると、11〜13番線はもともとはあったのだが、「11」と「12、13」は別々の理由で消えたのだという。
まず11番線。これは機関車の回送用線路で、73年発行の「東京駅々史」によると、客が乗り降りするホームに接しない10と12番線の線路の間にあった。用途を終えた今は、存在しないというわけだ。
12、13番線が消えた理由は北陸新幹線がカギを握っていた。東北・上越新幹線が東京駅に乗り入れた91年当時は1から19番線まで順に並び、12、13番線は同新幹線が使っていた。その後、97年の北陸新幹線開業にあたって新たなホームが必要になったため、中央線の1、2番線を高架化し、在来線の3〜10番線を丸の内側にずらして「空き」を確保する大工事が行われたのだという。
この時、JR東日本は番号の振り直しを実施し、新しくできた北陸新幹線のホームについて、東海道新幹線がすでに使っていた14〜19番線に続く形で20、21番線とし、東北・上越新幹線の12、13番線も続けて22、23番線に変更した。これらは10番線と14番線に挟まれる位置にあるため、番号が連続しなくなり、11〜13番線が存在しない今の構造ができあがったという経緯だ。
東京駅13番線と聞いて、松本清張の代表作「点と線」を思い出した。13番線から15番線までを見通せる、わずかな時間を利用した「4分間のトリック」はあまりに有名だ。
「清張先生はホテルの窓から駅のホームを目にし、着想を得たそうです」。丸の内駅舎内にある東京ステーションホテルの副総支配人・八木千登世さん(54)が教えてくれた。点と線は57〜58年、雑誌「旅」に連載された。清張は56年頃に何度かホテルに宿泊し、2階の209号室を好んで利用していたという。
その後、中央線の高架化で窓が目隠しされる形となり、清張が目にした光景を見ることはできなくなった。改装により部屋番号も振り直され、清張が泊まった部屋は現在、2033号室になった。「今は駅舎のドームの装飾を眺められるお部屋がとても人気です」と八木さん。209号室も、新しい番号に上書きされて消える。13番線と同じ数奇な運命をたどっていた。
「この写真に消えた11〜13番線が全部写っています」。東京駅の姿を撮り続けている練馬区在住の写真家で、「東京駅フォトグラファー」を名乗る佐々木直樹さん(60)はそう言って、78年7月に撮影したという写真を見せてくれた。
小5の頃に寝台列車「ブルートレイン」のとりこになった。牽引(けんいん)機関車の二つの形式が並ぶ貴重な光景をとらえたこの1枚は、当時の10番線から撮影したものだ。「かつての12、13番線はブルートレインが走る栄光の乗り場。時刻表や鉄道雑誌から情報を仕入れ、待ち構えて撮れた1枚だ」と語る様子は少し得意げだ。
時代の流れで失われたものが少なくない中で、次は別の駅に挑戦してみるつもりはないのだろうか。すると、佐々木さんからこんな答えが返ってきた。「駅近くに超高層ビルもできるし『エキナカ』も進化しているし、新しいアングルがどんどん生まれる。半世紀撮ってもまだまだ知らないことが多い、奥深くてとてつもない駅なんです」。欠番以外にも、東京駅には多くの謎が眠っているのかもしれないと思った。
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