<12>「表現の不自由展」やNHK報道について語ったこと

 女優の木内みどりさんは、自分が興味を抱いた人の「追っかけ」をしていた。その一人に、NHK在籍時にディレクターやプロデューサーとして数々のドキュメンタリー番組を手がけ、2009年に武蔵大教授(社会学)に就任した永田浩三さん(65)がいる。「表現の不自由展〜消されたものたち」(15年)を企画したことでも知られる永田さんの目に、木内さんの姿はどう映っていたのだろうか。


【企画編集室・沢田石洋史】

NHKのOBで社会学者の永田浩三さんの「追っかけ」に

 今月、木内さんの一周忌(18日)を前に、彼女の死生観に触れることができる本「あかるい死にかた」(集英社インターナショナル)が出版された。生前に書いたエッセーや、ラジオでのゲストとの対談などを収め、木内さんが「追っかけ」をした人たちの名前も書かれている。

 その一人の永田さんは、東京都練馬区の「ギャラリー古藤(ふるとう)」で木内さんと出会った。

東日本大震災後に開いてきた「江古田映画祭」でのことだった。永田さんは映画祭の実行委員会の代表を務めており、毎年3月11日の前後に「3.11福島を忘れない」をテーマに、主にドキュメンタリー映画を上映している。ゲストを招いてのトークショーなども行っている。

 木内さんが初めて会場を訪れた日は、永田さんに聞いてもはっきりしない。ただ、木内さんが17年4月放送のコミュニティーFMの番組「市民のための自由なラジオ Light UP!」に永田さんを招いたとき、「3年ぐらい前から、この方(永田さん)の『追っかけ』なんですね。イベントは可能な限り全部出ているぐらい」と話していた。永田さんは述懐する。

 「映画祭の初日は、ほぼ毎回通ってくださった。貧乏な映画祭なので、謝礼を支払うこともできないまま、来場者を前に木内さんにひとこと話していただくことを繰り返していました。15年に同じギャラリーで『表現の不自由展〜消されたものたち』を開催したときは、1度ならず何度も来てくださいましたね」

 「表現の不自由展」といえば、19年の国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」で開催され、中止に追い込まれた「表現の不自由展・その後」が記憶に新しい。これは15年の「消されたものたち」の続編として企画された。二つの「不自由展」では従軍慰安婦を題材とした「平和の少女像」など、美術館や画廊などで「検閲」された作品が展示された。木内さんは6月刊行の著書「またね。木内みどりの『発熱中!』」(岩波書店)に「消されたものたち」に4回通ったと記し、こう続ける。

 <制作する側が自主的に大きな力には逆らわない、長いものに巻かれていくようになってしまった。空気を読んで自粛・自主規制……。こんな現実を詳しく知って、悲しく、溜息(ためいき)が漏れてしまいます。(中略)今日では誰もが、自分のことだけ、自分の家族のことだけ、自分の任期だけ、自分の利益だけを優先して、他者の苦しみ・悲しみには気がつかなかったフリをして生きている……。力の弱い人やたまたま不運な時を過ごしている人にも、無関心。そして自分に都合のよい偏見を軸に差別を無意識に繰り返している。もちろん自分の反省あってこそなのですが、ほんとにこの時代は生きにくい>

NHK報道巡り辛口対談

 原発再稼働など安倍晋三政権(当時)の政策に批判的だった木内さん。上記のラジオ番組では永田さんに、東京・渋谷のNHK放送センター前で行った、15年8月のスピーチについて話すよう促している。

 木内さんが「(永田さんは)いつお会いしても優しくて、いばるところが全くなくて。けれど、『アベのNHKにしてはならない』ってNHKに向かっておっしゃった」と水を向けると、永田さんは「叫びましたね。ちょうど2年前ですね」と応じた。

 少し長くなるが、このときの6分余のスピーチを抜粋して紹介したい。永田さんはNHK前で開かれた集会「“政権べったりの報道をやめろ”怒りの声でNHKを包囲しよう」でマイクを握り、こう呼び掛けていた。

 「権力の監視としてのニュースは、公共放送の一番大事な使命です。しかし、この当たり前のことが、今のNHK、特にNHKの政治ニュースでは全くなされていないのです。安倍さんがそんなに怖いのでしょうか。この夏は戦後70年。NHKの特集番組はとても健闘しています。いい番組がいっぱい出ています。それに比べてニュースは異常です。悲惨です。戦後70年の『安倍談話』が出された夜のことを思い出してください。8月14日の夕方6時に安倍総理の記者会見が延々と流されました。7時のニュースでは、記者が『よいしょ解説』をしました。そしてニュースウオッチ9は、なんとスタジオに安倍総理を呼び42分間、厳しい質問もないわけではありませんでしたが、安倍総理の言いたい放題でした」

 「NHKニュースを見ても戦争法案(安全保障関連法案)の問題点が分からない。NHKニュースを見ても国会の中でいかに政府がいいかげんなのかが分からない。NHKニュースを見ても日本のさまざまな場所で(政権への)反対の声が上がっていることが分からない。NHKは視聴者の受信料で育てた大事な宝物です。安倍さんの私有物では断じてないのです。安倍さんに義理立てしたり、怖がる必要などないのです」

NHKのドラマに2年連続出演

 木内さんは19年1月の私のインタビューに、新聞・テレビの多くが本当に知りたいことを伝えていないと批判しながら、NHKについてはこう言及していた。

 「(11年の)原発事故後、NHKの報道が信用できなくなりました。政府の見解を伝えていますが、福島第1原発で何が起きているのか、本当のことが分からない。だから、反原発集会の司会で私は『NHK、聞いているか!』と言ったりしていました。私は反原発や『アベ政治ノー』を訴えていますけど、影響ないですよ。(18年の)NHK大河ドラマ『西郷どん』にも出演しました」

 木内さんは若き日の西郷隆盛が幽閉された奄美大島で、西郷を支える反骨の人、龍佐民(りゅう・さみん)の妻、石千代金(いしちよ・かね)を演じた。プロデューサーに「時の権力に逆らう顔がほしい」と依頼されたという。19年10月に放送されたNHKBSプレミアムのドラマ「八つ墓村」にも出演し、「八つ墓村のたたりじゃあ!」と叫ぶ「濃茶(こいちゃ)の尼」役を演じた。全身を震わせての「怪演」である。

 このインタビューを行ったとき、木内さんが出演して、まだ公開されていない映画は5本あった。その後、「こはく」「エリカ38」「夕陽のあと」「ラストレター」の4本が公開された。私はこの全てを見た。最後に残った「名も無い日」は来年公開予定だ。夫の水野誠一さん(74)は上記の本「またね。」にこんな文章を寄稿している。

 <一番困難だろうと思われていたNHKからの出演依頼が続き、民放でも「徹子の部屋」へ久しぶりの出演、映画では樹木希林プロデュースの「エリカ38」をはじめ、上質な5本のインディーズ映画からの出演依頼など、彼女の強い信念の前には、おのずから道が開けてきました>

原爆絵本「おこりじぞう」2回目の朗読会

 木内さんは高校を1年で中退して劇団四季へ。30代のときに週刊誌で「テレビ最多出演女優」と評されたこともある。東日本大震災後は政治的発言をためらわず、なおかつコンスタントにテレビドラマや映画に出演してきた。長くテレビの世界にいた永田さんは「この国では極めて稀有(けう)なこと」と話し、こう続けた。

 「自分の信念を貫いて行動することは、大変なことです。リスクを自分で引き受け、逆風を覚悟しなければならない。映画への出演が続いたのは、演技が評価されていたことに加え、彼女の存在を大事にしていた映画人がいたからでしょう。孤高の人でした」

 永田さんが実行委員会の代表として17年秋、画家の四國五郎さん(1924〜2014年)とその弟子ガタロさんの「四國五郎・ガタロ師弟展」をギャラリー古藤で開催したとき、木内さんは四國さんが描いた原爆絵本「おこりじぞう」の朗読を申し出た。これが、木内さんにとってこの絵本の2回目の朗読会になり、ライフワークとなっていく。

 永田さんは「鬼気迫る朗読で、『おこりじぞう』が木内さんに入り込んだようでした。被爆した女の子が息絶えて消えていくのも見事に表現していた。演劇の世界で生きてきた彼女が、絵本を読む際の真剣さに心を打たれました」。

自分自身を勇気づける羅針盤を求めて

 再度、上記のラジオ番組に話を戻したい。木内さんが永田さんをスタジオに招いたとき、四國さんの長男光さん(64)も同席した。3人はよく連絡を取り合ったり、食事をしたりしていた。当時の写真を見ると、木内さんは永田さんの2冊の著書「ベン・シャーンを追いかけて」(大月書店)と「ヒロシマを伝える 詩画人・四國五郎と原爆の表現者たち」(WAVE出版)を手にしている。本には付箋がしてあり、読み込んだ様子がうかがえる。

 私は木内さんの足跡をたどる連載「この国に、女優・木内みどりがいた」を書くために、この2冊の本にも目を通した。そして、一つの「気付き」があった。

 リトアニア生まれで生涯の大半を米国で過ごした画家ベン・シャーン(1898〜1969年)は、冤罪(えんざい)事件や水爆事件に抗議する絵を描くなど、権力に抵抗し続けたことで有名だ。永田さんの著書から、米国で赤狩り旋風が巻き起こっていた時代のシャーンの言葉を孫引きする。

 <創造的な仕事に携わる人びとが、身の安全をはかるために、いっせいに政治活動に無関心な態度をとるようになるとは、時代錯誤もはなはだしい……。芸術は言論の自由にとって、真の意味での最前線基地である>

 シャーンはこうも言っている。

 <芸術の目的とは、自分が感じたものを伝え、自分が考えたことを言い、自身の信念にならうことである>

 「芸術の目的」を「表現者」に置き換えると、木内さんの生き方そのものになる。永田さんはこう話してくれた。

 「彼女は自分にスポットライトが当たるのを望んではいませんでした。自分の体を使って、他者のことを伝えることに徹していた。反原発集会での司会もそうでした。演壇に立つ人を司会として全力で支える。しかも、会場の雰囲気をなごませる華があった。そして、自分自身を勇気づける羅針盤を求めていた。それが、ベン・シャーンであったり、四國五郎さんであったり。私の関連するイベントに来てくださったのは、政治や社会への怒りの強さと持続力を高めるためでしょう。それは自分という草木に水を与えるようなものだったと思う」

 シャーンは幼いころに米国に渡り、母国リトアニアではあまり知られていないという。木内さんは、夫の水野さんが日本リトアニア友好協会の会長を務めている縁もあり、リトアニアを何度か訪れている。「いつか、ベン・シャーン展をリトアニアで開きましょう」。永田さんとそう約束していたが、実現を待たずに逝ってしまった。

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 永田さんには後日、「選挙編」などにも登場していただく予定だ。次回(22日掲載予定)から「原発編」へと移りたい。

引用元:BIGLOBEニュース

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