「港区おじさん」より「埼玉おじさん」 前向き解釈が得意
「港区」にはある種の魔力がある。だが、自分を見失うべきではない。大人力を追求するコラムニスト・石原壮一郎氏が指摘する。
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何となくいけ好かない「港区女子」とともに、というかセットで話題を呼んでいるのが「港区おじさん」です。カネにものを言わせたその独特の生態には、驚きと半笑いを禁じ得ません。提唱している大元である『東京カレンダー』のWEBサイトでは、港区おじさんをこう定義しています。
〈港区女子は、それ単体では存在し得ない。彼女たちの影には、太陽と月の如く、欠かせない相手がいる。−港区女子を生み出しているのは一体誰なのか その正体は、“ありあまる富”を持つ、港区おじさん。〉
港区おじさんの生態を描いたシリーズ動画「一分港区おじさん」は、毎週更新中で大人気。見始めると続けて見てしまって、そのマヌケさに笑ったり時には不覚にも泣いたりしてしまいます。そのうちだんだん、港区女子や港区おじさんが好きになってしまいそうになるのが、動画の怖いところ。自分を見失わないように気を付けましょう。
港区おじさんになるには、女性におごりまくるだけの“ありあまる富”が必要なだけでなく、下心のなさも不可欠だとか。富の時点で大半のおっさんには関係ありませんが、見返りを求めないという高尚な境地に達することも、あまりに無理すぎる相談です。もしわずかでも、港区おじさんに憧れる気持ちや目指そうという野望があるなら、今すぐ捨て去りましょう。あれは、遠くにありて笑うものです。
富が控え目なわりには下心はたっぷり──。そんな我々凡人のおっさんが目指すべきは何か。それは「埼玉おじさん」です。けっして負けおじさんの遠吠えではなく、埼玉おじさんには港区おじさんにはないアドバンテージやメリットが山ほどあります。ちなみに先日の「練馬区女子」と同様、ここでいう「埼玉おじさん」はあくまで概念で、生息エリアが埼玉である必要はありません。千葉県でも川崎市でも豊島区でも荒川区でも、何だったら港区でも大丈夫です。
埼玉おじさんは、いい感じに発展する可能性がまったくない女性や、ましていっしょにいる女友達の分までお会計を引き受けるなんてことは、絶対にしません。カッコつけたいのは山々ですが、それをしたら向こう半年は霞を食って生きることになります。
おごるのは、魂胆がはっきりしているときのみ。もちろん、いたずらに高い店に行ったりなんてしないので、深い傷を負うこともありません。相手の女性としてもこっちの意図を汲み取りやすいため、面倒な駆け引きに腐心することなく、頃合いを見てYESかNOかをはっきり表明してくれるでしょう。そこはいわば、埼玉おじさんのやさしさです。
ま、ほぼすべてのケースはNOの表明ですけど、日々の長距離通勤の満員電車で逆境には慣れている埼玉おじさんは、そんなことで凹んだりはしません。人生のいたるところで妥協してきた経験もあるので、すべてを前向きに解釈するのも得意です。「素敵な女性といっしょに飲めただけで十分」「男としての経験値が上がった」ぐらいに思って余韻に浸れば、いつもの埼京線や東武東上線がバラ色の空間になってくれるでしょう。
港区おじさんにはけっして真似できないのが、埼玉おじさんのストライクゾーンの広さ。港区女子的なキラキラ感や輝く若さなんて必要ありません。いろんなタイプ、いろんな年代の多くの女性に、魅力やときめきを感じて存分に妄想を抱くことができます。男としてどちらが本当の意味での勝ち組か、もはや比べるまでもないでしょう。
万々が一、港区女子っぽい女子と縁があったとしても、グルメサイトのクーポン券を使ったら引かれそうな相手となんて、いっしょに飲み食いしたくありません。その点、埼玉おじさんにやさしくしてくれるような女性は、そんな堅実な部分に感心してくれるはず。「この人なら、私のことも大切にしてくれそう」とも思ってくれそうです。
女性にアプローチするときには、渋い口調で「ぼくは港区おじさんにはなれないけど、○○(自分の居住地)おじさんとして、せいいっぱい頑張るよ」と言ってみましょう。無駄に背伸びをしようとしないところに、身の程を知っている賢明さや、あるいは大人の潔さや深い自信を感じ取ってくれる……かもしれません。
勝手に決めつけていろいろ書いてますけど、巧みに勝負を避けつつの自己肯定こそがおっさんの得意技であり、強く生きていくための秘訣です。生き方もすがりつく幻想も人それぞれ。港区おじさんも埼玉おじさんも、お互いにがんばりましょう!
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