練馬区で御朱印巡り~南蔵院@練馬~

バス停南蔵院下車4分、西武池袋線の練馬駅より徒歩15分ほどの距離に南蔵院はあります。南蔵院通りという名前が付くほど、地域に馴染んだ寺院です。

延文2年(1357年)に中興されて以来、650年ほど経過している真言宗豊山派の寺院です。薬師堂、閻魔堂、鐘楼門などは宝暦3年(1753年)に建立されました。
お寺の口コミを見ると、昔はもっと広く緑溢れる場所だったようです。とはいってもこの辺りのお寺の中では敷地も広く感じます。

敷地に入ってすぐ右手に慈母観音像があります。一切衆生はわが子なりとうほとけさまの大慈悲のお心を菩薩の姿にあらわした尊像です。これはわが子を慈しむ母親の愛情にも通じるところから、近年、慈母観音と呼び親しんでいます。(説明文)




少し進んだ左手には首つぎ地蔵尊があります。
昭和7年、お首のないお地蔵さまのお体が中村に立っていましたが、あるところからお首だけが保存されているという話があり、継ぎ合わせたところぴったりと合いました。この不思議な仏縁から、これを首継地蔵尊とお呼びしてお参りしています。(説明文)

本堂手前には遍路する弘法大師像があります。
弘法大師空海上人は、今を去る1200年の昔、宝亀5年(西暦774年)に香川県善通寺のちに生誕されました。15才にして京に上り、18才で大学へ入学を許され、優秀な才能によって将来を嘱望されましたが、次第に仏教に心を引かれ大学を中退し、24才にして「三教指帰」を著して出家の宣言をされました。
31才の春、選ばれて留学生となり、遣唐船に乗組んで中国に渡り、足かけ三年間の在唐中に生涯の師恵果和尚に出会い、当時の中国で盛んであった密教の教えを受け継ぎ、33才の秋帰国されました。
その後弘法大師は、平安初期のわが国の宗教界、思想界の指導者として活躍され、対立し混迷していた人々の心に新しい高い光をかかげられるとともに、広く日本文化の推進に努力されました。そして62才の3月21日、高野山上でご入定されました。
現代日本の思想的混迷と構想とを考えるにつけて、大師の広い視野と深い洞察を憶い、大師の情熱と実行力を慕う心の、特に切なるものがあります。(説明文)

練馬区指定有形文化財 鐘楼門


南蔵院鐘楼門は、高さが約10メートルあります。屋根は、母屋を切妻造とし、その四方にひさしをふきおろしてひとつの屋根とした入母屋造で、桟瓦ぶきです。
門は、全体が赤く塗られ、上の階は吹き放しで梵鐘が吊るされた楼門形式です。建築年代は不明ですが、様式から江戸時代中期のものと推定されます。(練馬区教育委員会)


お寺の方にお話を伺いました。
10年ほど前までは毎朝鐘を鳴らしていましたが、住宅街にあるということもあり、大晦日の除夜の鐘をつく時だけになりました。2,3年前までは参拝客も門に登ることが出来ましたが、老朽化を鑑み、現在は門の下まで縄をおろし、登らずに鐘を突ける様工夫しています。大晦日は200名ほどの参拝客がいらっしゃるそうです。鐘をついてみたい方は、大晦日に是非いらしてください。
「鐘を鳴らしてみたいですか?」とお声がけいただきましたが、そこまでわがままは言えないと思い遠慮しました。私も大晦日に来られたらいいな。

御朱印

新型コロナウイルスの流行が落ち着くまでの当面の間は、郵送で御朱印を受付ています。お名前とご住所を書いて、切手を貼った封筒をお寺宛にお送りください。差し替えの用紙をお持ちの方は、一緒にお入れください。お志の送付方法は、切手か郵便小為替でお願いしています。
南蔵院 〒176-0024 東京都練馬区中村1丁目15−1

この日は、せっかく来ていただいたので、とその場で御朱印をいただきました。ご厚意に感謝です。

お寺で猫探し

南蔵院では猫さんに出会えませんでした。

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