聖火ランナーとんかつ店主の焼死の人災性

 5月2日の早朝、欧州とのやりとりで8時間ほど生活時間がずれやすい私は、深夜にその報道の第一報を知りました。

「聖火ランナーのとんかつ店主、火災で死亡 生前は延期や新型コロナ影響を悲観」(https://mainichi.jp/articles/20200502/k00/00m/040/003000c)

 東京都練馬区のとんかつ店で火災があり、店主の男性(54)が全身やけどで亡くなった。


その方は東京オリンピックの聖火ランナーに選ばれていた。

 しかし、五輪の延期と店舗の営業縮小から周囲に前途を悲観する言葉を漏らしており、心配した近隣住民が練馬区役所に相談に行った。

 これらと並んで、「遺体にはとんかつ油を浴びたような形跡があり」という記載で、私はあらゆる手も、目も、止めざるを得なくなりました。

 いまだ確定した報道はなく、遺書なども残されていないとありますが、状況から自殺の可能性が高いと思われます。

 この聖火ランナーの死は、間違いなく「人災」によるものと指摘せねばなりません。

 愚かな政策、要領を得ず、しばしば手遅れで、かつおかしな及び腰のために全く奏功していない各種対策に起因する人災、という側面です。

 休業補償を筆頭に、生活者の社会的・経済的な保護が行き届いていれば、決して失われなかったはずの生命が、筆舌に尽くしがたい形で奪われている。

 かつ、この死そのものに対して、公的補償などはほとんど一切、期待することができません。「苛政は虎よりも猛し」といった故事を引くだにむなしく、失われた命は返ってきません。

 問題の本質を直視する必要があります。

補償なき休業要請

 仕事で日常的に欧州各国とやり取りしていますが、各地のロックダウンは日本の比ではなく、極めて厳重で、開店しているレストランなどはどの町も皆無とのこと。

 しかし、同時に休業したという理由だけで、将来を悲観して店主が自殺、しかも焼身自殺などという報道は、誰に尋ねても「およそ聞いたことがない」との答えです。

「なぜそのようなことになるのか?」と逆に訊ねられてしまいます。

「失業して、家を失って、絶望してというのなら分かる。どうして自分のレストランを持っているオーナーが、休業だけで自殺しなければならないのか。日本はどういうことになっているのか?」

 説明を試みましたが、完全に納得してもらえたとは到底思えません。

 それぐらい、日本で今進んでいる状態は、特殊で異常であることは、強調しすぎることがないでしょう。

 外出禁止令に伴う給付金制度などは、国によってまちまちですが、日本のようなケースは他に類例を見ません。実際に起きたことは何だったか?

 緊急事態宣言が発せられた4月7日、安倍晋三内閣総理大臣は「自粛要請で生じる損失の補償に関し「民間事業者や個人の個別の損失を直接補償することは現実的ではない」と発言しました。

 国は「自粛」を「要請」はするけれど、それに対して経済的な「責任」を追うつもりがないという本音を、日本社会は察知するところとなりました。

 しかし、これでは到底もちません。各自治体は対策を講じようとしますが、いかんせん財源が足りない。臨時交付金が準備されますが、それらは「休業補償には使えない」と、あろうことか担当閣僚が釘を差す始末。

 担当閣僚のこの発言は4月13日のものでした。同じ13日、練馬のとんかつ店も営業停止の判断を下しています。

 すぐ追って17日には給付金を一律10万円に方針変更が変更されます。だがそこでも「請求者に限定すべきでは」などと、国庫への負担に配慮した注文が相次ぎました。

 このような経過と、全国経営者は営業縮小のなか、様々なやりくりの苦慮が並行した。マクロに政策を見れば、いくつか自明なことがあります。

 まず、政府としては可能な限り補償を少なくしたい。「自粛」や「要請」は「休業命令」などと違って、あくまで「国民の皆さんの自主的な協力」を求めるものであって、その間の生活を保障するという発想はそもそも存在していない。

 いわゆる「コロナ倒産」、すなわち休業補償なしに中小企業が参ってしまう「時定数」はたかだか1か月程度とみられるので、4月7日から30日間、4週間強の緊急事態宣言としたわけですが・・・。

 各地でコロナ倒産は相次ぎ、大半の何とかもっているところも大変な努力で経営を維持している。

 中小企業が参ってしまう1か月程度以上のタイムスパンでの政策は打ちたくない。だから小出しに、少しずつ緊急事態宣言=自粛要請を先延ばしにしていくしかない。

 しかし状況の変化は明らかです。結局、政府も5月に入って、つぎの「延長」は5月末まで、つまり3週間半に短縮した案を発表しました。

 これは逆に言えば、政府は一貫して全面的に休業の影響を補償するつもりがなく「国民の皆さまの理解と協力」つまり出血サービスを求めている。

 また日本政府は「もうすぐ元に戻りますから」といったトーンの報道で、できるだけ社会や経済に影響がないようイメージ作りを続けてきました。

 欧米で感染が爆発し、各国から「こんな状況で選手団など派遣できるわけがない」と通達が来た3月下旬になっても、日本はただ独り、東京五輪を開催する建前のまま、準備を進めていました。

 ようやく3月22日、検討が発表され24日には「延期」が決定、翌25日に入院が発表されたタレント、志村けん氏の訃報が29日にもたらされた頃から、ようやく日本社会の認識にも変化が表れ始めたのが実際だったように思います。

 メディアの報道も、五輪延期の決定直後から急速に外出自粛、経済縮小の方向に舵が切られ、飲食店営業への影響も急激に拡大したと考えられます。

「一日千秋」の気持ちに寄り添わない政策

 このような推移のなか、復旧ないし救済を求めて一日千秋の思いで待ち望み、万策を尽くし、万策に尽きて絶望するなかで、練馬とんかつ店の悲劇は起きたのだと考えられます。

 ここでオリンピックに目を向けると、4月20日、IOCは、2021年7月に延期された東京オリンピックについて、発生する追加費用数千億円のうち、IOCが負担するのはたかだか数百億円にとどまるとの合意が日本の安倍首相との間でできているという発表をホームページ上で行いました。

 このようなことは、日本にとっては寝耳に水だったようです。ただちに21日、官房長官会見で、そのような合意は全くないと全面的に否定します。

 ここから見えてくるのは、すでに、不可避的に発生する巨大な赤字のしりぬぐいの押し付け合い、いわば責任転嫁合戦です。

 先手を打ったIOCはオリンピックの精神もへったくれもない、ただただ醜いだけの銭ゲバというべきでしょう。

 オリンピックに美しい夢と希望、理想を懸けて思いを抱く人には、十分に幻滅させられるものであった可能性があります。

 これに追い打ちをかけるように4月29日、安倍総理大臣は参院予算委員会で「新型コロナが終息していない中においては、完全な形で実施することはできない」と答弁します。

 この発言を各国メディアは「日本のPM(プライムミニスター)が2021年のオリンピック中止に言及した」と報道します。

 こうした報道が、国内でどのように報じられ、それがどのように読まれたか、いまとなっては確かめようもありません。

 ただ、この29日、練馬のとんかつ店では店主が「店をやめたい」と言い始め、あまりの様子に周囲が心配し始めたことが報じられています。

 翌4月30日内閣総理大臣は補正予算案の成立、ならびに翌日からの「最大200万円の持続化給付金」受付け開始とともに、この状態がかなり永続する「持久戦の覚悟」と「緊急事態宣言」体制の継続を示唆する記者会見を開きました。

 今までと同様、国民には理解と協力、言い換えれば出血を継続して求めると宣言する側面も指摘できるでしょう。

 一日千秋の思いで緊急事態宣言の解除と、原状への復帰を心待ちにしていた人たちにとって、これらの言葉はどのように響いたのか?

 この4月30日の夜10時、練馬区北町のとんかつ店で火災があり、駆け付けた消防が消火作業に当たった焼け跡から、てんぷら油を浴びたような跡のある、ご店主の遺体が発見された、と報道は伝えます。

 焼けたのは内壁1平米。何が起きたのかは明らかと思います。このような自殺は、本来、絶対に避けねばならないものです。

万感、断腸

 自殺には様々な方法が知られますが、焼死は最も苦しいものであるのは周知のことと思います。

 私も半世紀強ほど生きてきた中で、身近でいくつかの自殺を身近に経験しましたが、焼身自殺は1件だけで、詳細はすべて略しますが、激しい抗議を伴うものでした。

 改めて、その人の遺した言葉に目を通しつつ、今のところ遺書らしいものを何も残していないと報じられている今回のとんかつ店主の方については、聖火ランナーであったこともあり、ネットで様々な情報が公開されていますし、ここで触れることはあえて避けます。

 原稿の準備にあたって、生前の横顔にも触れ、努力家で誠実、地元の信頼も厚かった故人の足跡を知るだに、冷静に記せませんので、ここでは控えます。

 唯一、この方は筆者と近いエリアで私より半年ほど後に生まれた、地元、同世代であることのみ記します。

 半世紀にわたって真面目に誠実に生きてきた人が、すべてに絶望してこのような事態になってしまったこと。

 筆者の母親は生前、大牟田空襲で焼夷弾の直撃を受け、拭っても拭っても取れないナパームの油で意識があるまま炭化火傷の経験があります(19歳で被弾し21歳まで2年間寝たきりの後、奇跡的に完治し社会復帰しました)。

 それがどのような状態であるか、子供の頃から耳にたこができるほど、聞かされて育ちました。

 ただ万感、断腸 としか記すことができません。

 血の通った政策が、検討される必要があることを痛感します。

筆者:伊東 乾

引用元:BIGLOBEニュース

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