荒木大輔氏と金村義明氏、夏の甲子園100回記念対談(後編)「やっぱり甲子園でやらないとダメ」
第100回夏の甲子園大会を記念した、早実の伝説的アイドル・荒木大輔氏(54)=日本ハム2軍監督=と報徳学園で甲子園優勝投手の金村義明氏(54)=スポーツ報知評論家=による豪華対談。後編は酷暑対策のほか、次の100回に向けて球児にエールを送りました。(取材・構成=片岡泰彦、山崎智)
—球児の体調を考慮して、夏も地方大会からタイブレーク制が導入されました。
今後は球数制限なども検討されていくのでしょうか。
荒木(以下、荒)「今の時代はしなきゃダメですよ。昔みたいには無理。ただ、タイブレークをしたから、けが人が出ない保証はない。絶対、肘、肩には負担がかかるから。日程を緩めるとか、いろんなことをすべて合わせていくべきですね」
金村(以下、金)「俺らの時代は猛暑、酷暑なんて言葉すらなかった。今年は、入場行進で選手に水を持たせたりするらしいけど、当時では考えられへんかった。それは相当評価できるな」
荒「僕は水飲んでましたよ。周りは飲ませてもらえなかったけど、1つ上で同じ投手だった芳賀(誠)さんが『いいから』って飲ませてくれました」
金「マジか! 俺ら、ほふく前進して泥水飲みながらやってたで」
—かつては連投が当たり前でした。金村さんも81年夏は全試合完投V。荒木さんも1年生だった80年夏は、決勝まですべて先発でした。
金「センバツで対戦した槙原(寛己=大府高)の直球が強烈に速くて、投手で生きていくことは諦めたんや。夏は疲れるから、ほとんど変化球。真っすぐを投げるような顔をして、がちょ〜ん(って変化球でタイミングを外す)。クレバーやったな」
荒「疲れというのはなかったですね。1年の時に、連投の2試合目が第1試合ということもあったけど、普通に投げられちゃう。気持ちが高揚しているっていうのもあるのかもしれないですけど」
—当時の早実の練習は約2時間ほどだったそうですね。
荒「そうです。ナイター設備がなかったし、学校の授業が終わって(練馬区武蔵関にあったグラウンドまで)移動に1時間近くかかったから。甲子園でやり残したことといえば優勝ですけど、もう一度やり直したいということはないです。僕らは練習してないので。練習してない学校は優勝できないです」
金「俺らは、朝から真っ暗になるまでやってたで。グラウンド脇の武庫川沿いを海まで往復20キロ近く走らされとった」
荒「(81年の)報徳戦も、逆の立場だったら僕らに終盤ではね返す力はない。序盤にリードされたら、すぐに諦めちゃってたし。ダメダメ、もう無理、って。でも、5季連続で出られたのも、あの練習だったからだと思うんです。やらされる練習だったら続かない。それは、今の早実もそう。だから、清宮みたいな抜けた存在は出てくるけど、鍛え上げて高いレベルでバランスが取れたような選手はあまりいないんです」
金「佑ちゃん(現日本ハム・斎藤)は優勝したやん」
荒「だから、あれが信じられなかったんです。何でこいつら頑張れるんだろう、って」
—不思議な可能性を引き出すのも甲子園です。
金「俺が西武にいた時、甲子園のスターを獲らないドラフト方針だったから、投手陣は西口とか石井貴とか、甲子園に出られなかったヤツばかり。甲子園でのオープン戦は、じゃんけんして、投げさせてくれ、言うてな」
荒「甲子園の試合はみんな手を挙げますね」
金「やっぱり、あのマウンドに立ちたいんだよ。それくらい別格。広いし、デカいし。あの雰囲気に憧れて、みんな野球を始めてるんだから」
—世間では、夏の甲子園大会を京セラドームで開催すべきでは、とか、8月の開催は避けるべき、といった声も出てきています。
金「どう思う? ドームでやった方がいいと思う?」
荒「僕はそれは思わないです。やっぱり、甲子園は甲子園でやらないとダメだと思ってるので。そうじゃないと、全然面白みもなくなっちゃう。ただ、そのためには高野連だけじゃなく、プロ野球も協力していかないといけないとは思います」
金「暑い時はやめろ、とか言うけど、そんなん言うたら、20年の東京五輪もできないよ。それと、今の日本の技術やったら、甲子園を開閉式のドームにできると思うんやけどな」
—200回大会に向けて、理想の監督像やあるべき姿など、今後の高校野球に望むことはありますか。
荒「日程的なものや暑さ対策、健康管理といった面は、時代に即して変わっていかないと、次の100年は来ないと思います。一方で、高校野球自体は変わらなきゃいいって思ってます。早実みたいにフリーなスタイルでやってる学校もあれば、金村さんの報徳のように、猛練習を積んで、それが力になって甲子園で優勝する学校もある。坊主頭じゃなく、髪の毛を伸ばしてる学校が出てきたり。いろんなスタイルの学校があるから、面白い試合も生まれる。それが高校野球の楽しさだと思うんです」
金「プロのOBが監督をやったり、高野連も明らかに変わってきている。健康にも留意してくれるようになってる。だからこそ、甲子園、あの聖地だけはずっとそのままでいてほしいな。子供たちの夢は相変わらず『甲子園に出たい』。挫折を繰り返しながら、みんなで一つの目標に向かう2年半が、社会に出ても強みになるんやな。17日に(甲子園のレジェンド)始球式に行ったら、感動すると思うな。右手首に痛風が出てんねんけど、当日までに何としかして治すわ!」
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