なぜ練馬区に大量の野菜自販機が!? 「都市に農地はいらない」と言われた農家が“無人販売”を仕掛けた理由
自転車に子を乗せた母親がキュッと止まった。道端の“コインロッカー”をのぞき込む。
「ママァ、あったぁ?」
「ニンジンとホウレンソウを買うよ。夕ごはんは何にしようかな」
チャリ、チャリと硬貨を入れて、扉を開ける。中から野菜を取り出すと、楽しそうに去っていった。
道端に置いてあったのは、コインロッカー式の野菜の自動販売機だ。農家が畑や家の前に設置して、穫れたての野菜を売っている。
(全2回の1回目/ #2 に続く)
練馬区の農家の6割強が自販機や庭先での販売を行う
東京都練馬区には、野菜の自販機が点在する通りがいくつもある。
2018年8月に区が行った農家へのアンケート調査では、31戸が自販機を置いていると回答したが、実際にはもっと多いという。
他にも、雨にぬれない程度の売り場を作って野菜を並べる無人の「庭先販売」もある。これらを含めると269戸。全438戸の農家のうち6割強を占め、これほど自販機や庭先での販売が多い地区は全国でも珍しい。「野菜の自販機銀座」と評する人までいる。
それにしてもなぜ、これほどまでに増えたのか。理由を探っていくと、崖っぷちに追い詰められた都市の農家の姿が見えてくる。
農家は次々と不動産業に転換していった
かつて練馬区の辺りは、江戸のまちへの食糧供給地だった。畑が激減したのは戦後になってからだ。高度経済成長期に東京へ人口が流入すると、宅地や商業地の開発が進んだ。1975年に750ヘクタール近くあった区内の農地は、200ヘクタール程度にまで減っている。
水田は一切なくなった。
開発以外にも農地が減った理由がある。農家への風当たりだ。
経済が右肩上がりの時代、「農業は田舎ですればいい。都市の農地は宅地にして少しでも安く住宅を供給すべきだ。なぜ売らないのか」といった批判が農家に浴びせかけられた。
畑の周辺が住宅化されると、「農作業の土ぼこりが迷惑」「トラクターがうるさい」などといった苦情が相次いだ。一方、農地を売ればカネになった。このため農家はどんどん不動産業に転換していった。
78年に就農した白石好孝さん(65)はそうした時代の波を最も受けた世代だ。
「都市に農地はいらないという時代でした」
白石さんは350年続く農家の「跡取り」として育てられ、当然のこととして農家を継いだという。だが、同級生の多くは勤め人になった。周辺の農地もみるみる減った。
「都市に農地はいらないという時代でした」と白石さんは振り返る。
「どうしたら農業を続けられるか」。白石さんは悩んだ挙げ句、「近隣住民の理解がなければ、農家は生き残れない」という考えにたどり着く。
92年、「生産緑地地区」の制度ができた頃だった。この制度は「都市から緑をなくしていいのか」という問題意識を持つ農家の運動が原動力になってできた。生産緑地に指定されると、30年間は農地として維持しなければならないが、宅地並みの課税が軽減され、相続税も猶予される。つまり農業が続けられる。
壊されたり盗まれたりしないのか?
「しかし、白石さんら当時の運動に携わった農家は『生産緑地地区の制度だけでは農業は消える。近隣の住民をどれだけ味方にできるかが鍵だ』と考えました。農作物を市場に出荷するだけの農業では、近隣住民との接点はありません。では、朝穫れの野菜を畑で直売したらどうか。美味しいと喜ばれるし、食生活に農地が必要だと分かってもらえます。こうして庭先販売や自販機が広がっていきました」と区役所の都市農業課、澁谷悠万主査が説明する。
だが、盗まれるなどしないのか。
「関西には、野菜の自販機が広まったのに、壊されて現金や野菜が盗られる事件が相次ぎ、廃れてしまった地区もあるようです」と澁谷主査は話す。
確かに練馬区でも防犯カメラをつけている農家がある。「100円なのに10円しか入れない人がいる」と漏らす80代の農家にも出会った。それでも、続いている。
「そもそも近隣の住民と良好な関係を結ぶために設置したのです。悪事を働くより、私達の思いに応えてくれた人が多かったのです」と話す農家もいた。
年間3万8000円の「農業体験」が人気に
白石さんも、もちろん畑の前に自販機を置いた。が、それだけに止まらなかった。96年には区役所と一緒になって「練馬方式」といわれる新しい「農業体験農園」を生み出した。
農業を理解するには体験が一番だ。しかし、畑を貸し出そうにも、生産緑地に指定されると、貸借が許されなかった。
そこで貸すのではなく、年間3万8000円(区外の人は5万円)の利用料を払った人
に、30平米程度に小分けした区画を、農家の指導のもとで作ってもらおうと考え
た。これだとむしろ農家との交流の場になる。
白石さんの畑には「農業体験農園」が約120区画ある。利用者は8割が練馬区内だが、港区や渋谷区などから電車やバスを乗り継いで来る人もいる。「定年退職後の趣味にという人、親子で野菜を育てたい人、美味しいものが食べたい人……、皆さんの思いは様々です」と白石さんは話す。
「スーパーで売っているのとは全然違います」
白石さんは畑で年間16回の講習会をして季節に応じた作業のポイントを教える。種や肥料も用意しているので、利用者は全員同じ作物を栽培し、講習以外の日も暇を見つけて畑に通う。
60代の男性利用者は「つい先日、落花生を塩ゆでして食べたんですが、いやぁ旨かった」と笑う。
「ここの作物は甘さも香りもスーパーで売っているのとは全然違います。会社の退職を機に始めたのですが、もう病み付きになってしまって」と言う。もう9年も利用している。
音楽と農業のイベント「フェスタ・イン・ビニール」
白石さんは他にも様々な活動をしており、年に一度は畑のハウスの中で「フェスタ・イン・ビニール」と銘打って音楽イベントを開いている。
「音楽を聴きに畑にきてもらい、あわせて農業も知ってもらえないか」と考えていた時に、知り合ったサックス・フルート奏者の梅津和時さんが協力してくれた。この11月4日に開いた19回目のイベントには、梅津さんのバンド「こまっちゃクレズマ5」などが出演し、約150人が詰めかけて、ハウスの中は汗が出るほどの熱気だった。
演奏の合間には100円でニンジンを3本引き抜く収穫体験も行った。
「私の農業者としての人生は、とにかく地域に理解してもらいたいという一心でした。でも、時代が変わり始めています。あくせく働いて都市化を目指したら豊かになると信じていた人々が、持続的でシンプルな暮らしの方が豊かなのではないかと考え直し始めたのです。農地では楽しいことがあるし、美味しいものができる。マンションになってしまうより、残した方がいいと思ってくれる人が増えているように感じます」と白石さんは微笑む。
野菜自販機に込められた農家の思いは、長い年月をかけて実を結ぼうとしている。
撮影=葉上太郎
( #2 に続く)
「練馬の農業はこれから面白くなる」自販機でトマトを売りまくる48歳農家が見据える“次世代の稼ぎ方” へ続く
(葉上 太郎)
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