練馬区で御朱印巡り~円光院@中村橋~

西武池袋線の中村橋駅より徒歩9分、鮮やかな赤が目立つ円光院があります。

円光院は南池山貫井寺といい、真言宗豊山派(豊島八十八ヵ所第十一番札所)のお寺で本尊は不動明王です。昔、寺の南に大きな池があったので「南池山」と号し、土地の名が貫井であるので「貫井寺」と称したといわれています。
寺の伝えに寄すと天正十三(1585)年没した開山・円長法師は密法修業の折、にわかに腰脚痛を患い、あらゆる治療を施したが効果がなく、一念を込めて7日間の断食をして、武州大鱗山の子聖権現を遥拝し平癒を祈願しました。その満願の日の暁、霊夢により霊石を得て幹部を撫でさすると、たちまち快癒したので、感極まってここに堂舎を建て貫井寺と称し、その近くに子聖大権現を勧請して霊石とともに奉安しました。
子聖権現は12年に一度、子の年・子の月・子の日にご開帳され、また観音堂に安置された観世音菩薩は子ノ聖観世音と称し、馬の護り本尊として信仰を集め、毎年春に境内で「馬かけ」の行事が行われ賑わいました。
昭和20年5月戦災で本堂などを消失、昭和38年再建が成り、昭和55年12月、観音堂ならびに境外仏堂(地蔵堂)などが修復再建されました。




門の手前左側には子ノ聖観世音碑があります。
高さ1.75メートルの角柱型の石碑です。文化7年(1810年)の銘があり、下部には明治13年の銘が陰刻されています。円光院の草創ともいわれる子権現が江戸時代には境外の祠に祀られ、信仰を集めていました。子ノ聖観世音碑は十一面観音ですが、近在の人々は馬頭観音としても信仰し、明治期には「馬かけ」行事も行われていました。この標石は江戸時代から明治期にかけて子権現、馬頭観音信仰が盛んであったことを伝えるものです。
敷地は広く、駐車場も利用できます。撮影した日は平日午前中でしたが、数名お参りにいらしている方が見受けられました。
清掃の行き届いた敷地内には石碑や石像が数多くあり、見どころ盛りだくさんです。
円光院にはねりまの名木にしていされた樹木が2本あります。
樹種別で区内最大の「円光院のタラヨウ」は高さ7m、幹の太さ1.7mあります。門をくぐって右手にあります。
樹形が見事な「円光院のイチョウ」は高さ18m、幹の太さ2.8mあります。敷地内中央、墓地の入り口近くにあります。訪問したのは9月下旬ですが、葉が黄色くなるのはもう少し先でしょうか。

本堂からはお経を読み上げる声が聞こえてきました。

「ごんげんこづち」と刻印された権現小槌はカラダの不調を感じる部分に擦り付けたらたちまち治るという小槌。思わず触りたくなるつるんとしたフォルムです。その由来について、このように書かれていました。
『往古、この寺の住持脚腰に痛みありて武州の子ノ権現に願いをかけ、夢告により小槌を発見し、患部を撫で擦りすると快癒せりと、依ってこの功徳を同病の世人に施さんと発願して権現さまを勧請して小祠を営むと伝承される。之れが「貫井の権現さま」の創め也と。
此れは、之れ仏教(密教)の根本仏・大日如来の分身たる観音さまの化身が子ノ権現、その表微的なものが小槌なりと思料される。
仏教には八万四千の法門ありと云はれるがつまる所慈悲の教え(人の痛さのわかる心)であり「自利々他」の布施行であります。物栄えて心亡ぶと云はれている昨今、中庸の心(中道)を根本とした社会構成の一員たらん事を祈るや切なものであります。
人間だけが拝む心を知っている
拝む心に現れるものが真実である』

御朱印

本堂の隣に受付があります。インターホンを押すとすぐに女性の方が対応したくださいました。

お寺で猫探し

円光院では猫さんに出会えませんでした。

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