練馬区で御朱印巡り~円明院と伏見稲荷神社@氷川台~

東京メトロ副都心線・有楽町線の氷川台駅より歩くこと15分程のところに円明院はあります。東武東上線の上板橋駅からも同じくらいの距離です。近くにバス停 平和台二丁目や練馬北町車庫もありますが、いずれも徒歩10分以上はかかります。氷川台駅から円明院までの道のりは大きな勾配は感じなかったので、そこまで苦にはならずいいお散歩になりました。

慧日山円明院西光寺といい、真言宗豊山派のお寺です。豊島八十八ヵ所の第27番札所で、本尊は不動明王です。
開基と伝えられる賢栄阿闍梨の名が刻まれた文亀二年(1502年)の板碑や、弁財天座像を線刻した文亀元年(1501年)の見事な板碑があります。この板碑は大正四年(1915年)に寺の裏山の土窟から偶然発見されたもので、造立当時は田柄川の清流が門前を流れる風景が美しく、水と関係のある弁財天を信仰したものと思われます。毎月3日、21日の縁日には多くの参詣人で賑わったといいます。

参道には「血の道地蔵」と赤く刻まれた明治二十五年(1892年)の地蔵菩薩立像があります。別名「いぼ地蔵」とも呼ばれ、この地蔵菩薩に祈るとイボがとれるといいます。



本堂左脇の道を奥まで進むと四国八十八ヵ所霊場があります。石段は段差が少し高いので通行の際はご注意ください。虫もそれなりにいたので虫よけ対策もお忘れなく。

石段を登りきるとこのような景色が見渡せます。

中央の石像にはミカンがお供えしてありました。

練馬区出身であるJA東京中央会会長 加藤源蔵氏の顕彰碑があります。
昭和二十六年、加藤氏は結成間もない農業協同組合運動に身を投じ、理事就任後も東京都における農業後継者の道を開きました。国政に立ち向かい都市農業の確立させ、農業を通して中国や韓国と国際的な相互交流の道も拓きました。現在、地産地消や都市農業の持つ多様性への理解が深まったのも、都市農業一筋に歩んでこられた加藤氏のお力によるところであると刻まれています。

本堂裏側には弁財天座像板碑があります。

本堂は新旧の材木が混じり、大切に守られてきたことがわかります。

墓地入口付近には合掌地蔵(なで地蔵)があります。
自分の身体の悪いところがよくなるようにお地蔵さまにご祈願しましょう。足を治したければお地蔵さまのおみ足を、頭を治したければお地蔵さまの頭を、と該当の箇所をなでます。
その隣には六地蔵尊があります。
六地蔵尊とは地獄、餓鬼、畜生、修羅、人道、天道の六道からなりたち、地獄・餓鬼・畜生の三悪道から逃れて、修羅・人道・天道の三善道に至ることを意味します。六地蔵尊を安置し供養することにより、天道すなわち極楽浄土に往生することが出来るという古来からの教えに基づくものです。死者の棺内に納める紙銭を六道銭といいますが、これもこの説によるものです。
お墓参りをされる方はこの六地蔵を参拝し、亡き人たちの極楽浄土に安住することを願うことが大切であり、お参りをする自分自身も正しい人間生活を送っていただきたいというのが円明院の思いです。

六地蔵をお参りして、生垣沿いの道を進むとお手洗いの手前に関東大震災犠牲者慰霊碑があります。


大正十二年(1923年)に発生した関東大震災では、練馬駅北口付近にあった上毛モスリン株式会社練馬工場のレンガの建物がほぼ全壊しました。この時に殉職した女性8名、男性1名の従業員の菩提を弔うために、上毛モスリン株式会社練馬工従業員一同によって、震災発生から翌年の大正十三年に慰霊碑が建立されました。
慰霊碑正面には「大震災横死者吊魂碑」、背面には震災による工場倒壊の事実と犠牲者の氏名が刻まれ、関東大震災の被災状況を伝えています。6月中旬現在、草が生い茂っており、手で葉を避けながらでないと慰霊碑を見ることが出来ませんでした。
当時練馬工場があった場所のあとに建てられたのが練馬文化センターです。

伏見稲荷神社

伏見稲荷神社は、荘厳寺のすぐ裏手にある小さな神社です。

ねりまの名木にも指定されている独特な樹形のカヤが目印です。カヤの高さは14m、幹の太さは3.5mで、区内有数の大きさと奇異な樹形であることから指定されました。

御朱印のお取り扱いは無いようですが、立派なカヤの木に守られるように鎮座する眩しい朱色は見ものです。是非こちらにも足を運んでみていただきたいです。

御朱印

手書きでご対応いただきました。300円お納めしました。

お寺で猫探し

猫は見当たりませんでした。

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